どうも、万年低血糖と判明したやややです。
まぁ、なんとなく私が休学および退学するだろうなっていう想像は6月くらいからついていました。
「あ、私研究に向いていない」
ということに。なぜそう思ったのか時系列順に書いていこうかなと思います。
ちなみに休学の手続きは4月から休学の場合、2月の末から3月の末までに手続きすると前期分休学となり学費は前期一切かからないそうです。
4月に手続きすると4月分の授業料は発生するが、5月からの授業料は払わなくていいそうです。5月以降に手続きすると、前期の学費は全額払う必要があるので注意が必要です。(国立大学の場合)
後期も同じように7月の末から8月末までに手続きをする必要があります。(自分用にメモ)
- 6月 研究計画書
- 7月 研究の問題点を探る日々
- 8月 引きこもり生活の始まり
- 9月 引きこもり生活
- 10月 引きこもりから脱出 違うテーマを与えられる
- 11月 土日ベッドから出られない 適応障害発症?
- 12月 単純作業の日々
- 1月 実験のまとめ とだるさの続く日々
- 2月 研究計画が作れないことと病気発覚
- 3月 就活と研究
6月 研究計画書
6月にあったのは研究計画書をまず作って副指導の先生に見せて、色々突っ込まれて最後に主指導の先生と練り上げていくという作業を行います。(うちの大学では)
ただ、研究計画と言っても大体の人は卒論の延長か似たようなテーマで研究計画がある程度できている状態で副指導にあーだこーだ突っ込まれ修正し、主指導に文章構成とかを直してもらい提出するというものです。
ちなみにこれが提出できないと留年に王手がかかります。
なんと私はここで留年に王手がかかりました
はい、なんと提出が遅れてしまったのです。
それはもう研究室がピリピリしましたし、
今年の2月の修士2年の方々の修論提出に間に合わなかった方がいたのですがその時に教授に私が1番怒られました。(お前も2度目はないからなと)
もうこの時で教授との仲は地に落ちたようなもんですよ
蛇に睨まれたカエルの如くの生活がここで確定しました。
なぜ私が研究計画書を提出が遅れたのかには2つ大きな理由がありました。
- 提出の方法の確認不足と期限ギリギリの提出
- 修士で研究室を変えているため
という2つの大きな理由(言い訳)がありました。
1つ目はその当時コロナ禍でもあり、提出の方法が2通りありました。
- 教授(主指導)からのオンライン提出
- 自分で書類を学務に提出するオフライン方式
私の副指導のうち1人はほぼ大学に来ない方でした。そこで紙でのサインをもらうことができないので教授からの提出だと勝手に私が思い込んでおり、主指導からの提出だと思っていたら主指導の先生は紙での提出だと思っていたためそこで解釈の齟齬が生じ、研究計画書が出来上がったのが提出前15分という状況。
そこで間に合わなかったのです。
じゃあギリギリにならないように前もって準備しておけばという話になるんですが、まず研究計画を立てられないということが問題にありました。
前の研究室も画像処理系の研究、今の研究室は画像の分類の研究室。また対象とするものも個々の物を対象としていたのが、全球という広い対象に変わったこと。同じような分野でも全く異なる対象と範囲に変わったことで学部の時に学んでいたことからまた別の新しい分野で、しかも結果を出せるような研究計画を作らないといけなかったのです。
月に20本ほど論文を読みなんとなくそういった分野の研究を掴んだつもりでいましたが、どのような方法を用いれば与えられたテーマの新たな方法で良い結果を出せるのか、というのが結局つかめませんでした。
あ、2年間詰んだな
って正直思いました。そしてこの思いは今現在も当たるのでした…
7月 研究の問題点を探る日々
そんなこんなで研究室の完全なお荷物となった状態で迎えた7月。あっていないなという思いはどんどん密度を増してやってくるのでした。私のやっている分野の研究は、実験をして手を動かすというより、ひたすら論文を読んで準備している機関の方が圧倒的に長い、そんな分野の研究でした。学部生の時はコーヒー片手に論文を読むのがかっこいいと思っていましたが、憧れと現実は全く違ってひたすら苦行に感じました。
何より苦行なのが英語の論文をずっと読んでいること。DeepLやGoogle翻訳があるとは言え、苦手な英語を翻訳し、翻訳した文が何を言っているのかが全く頭に入らない。3回目でおって手でメモしたりして、先輩に聞いたりしてなんとか騙し騙し読んでいるという状況に近かったです。
筑波大学の落合先生の方法で論文がバリバリ読めると聞いたので、バリバリ読めるかというと私には到底難しかったです。この方法だと私の行なっている研究では行なっている手法が少し軽視されがちになり、うまくまとめるには少し物足りなかったり、次読むべき論文がどのようなものかを決められなかったりしました。
あまりにもダメダメ過ぎてとりあえず箇条書きにのみ書き始めた修士の生活リズムの書き出し。
8月 引きこもり生活の始まり
そんなこんなでおっかなびっくりで進められる教授との1対1のゼミ。教授は私の後ろ向きな態度のゼミに心配になったのか、「やる気はあるのか」ということを何度か聞かれ、顔には謎の湿疹ができたりし研究室から足が遠のきました。そんな中、緊急事態宣言か何かが発令され、2021年の3月卒業に支障が出る人だけ入校できることになりました。
これを期に私の引きこもり生活は幕を開けたのです。
ちなみに
小学生並みの絵日記を始めたのはここからでした。
9月 引きこもり生活
この日々はオンライン授業を受け終わった寝て、ゼミの論文を深夜から読むという日々を過ごしていました。先生から渡された200ページほどある資料から必要な部分だけを読んでまとめるということをしていました。一応学部では夏休みということもあり、どうにかこうにか過ごしていました。この時はもう実家に帰っており、ゼミの度に泣いてふて寝をして一向に起きないので親に心配をめちゃくちゃかけていました。昼間、ブラックコーヒーを飲んでも眠くて仕方がないし、昼食後は耐え難い眠気が襲う日々を過ごしていました。今思うと血糖値スパイクが起きていたのかなと思います。
10月 引きこもりから脱出 違うテーマを与えられる
10月になるとコロナも終わり、対面授業が始まりました。とりあえず単位不足になるのだけは避けようと思い、対面授業に出席していました。あと、普通の顔して研究室にも入りました。そこで待っていたのは先生から出された二択の選択肢だったのです。
- 自分のやりたいこととは別で単純作業だが、確実に結果は出る研究
- 自分のやりたいことではあるが結果が出るか不明な研究
この二択を選ぶ必要があったのです。1週間の猶予があり、そこで自分のやりたいことと近い方面の論文を先生から渡されました。この論文はまだ発表されていないもので紙媒体で渡されたのでDeepLには手打ちで打ち込む必要性があり非常に面倒だったのを覚えています。
今まで勉強してきた内容とはまた違った新しい技術の論文でメゾットが何が何だかわからなかったのを覚えています。結果的には不完全燃焼で論文を読み終わりました。論文の要旨すら掴めませんでした。
そこで、「自分がやりたいと思っていた分野は私の能力では理解すらできない」という現実に直面しました。
そこで選んだ私の選択肢は
自分のやりたいこととは別で単純作業だが、確実に結果は出る研究
を選び、画像を毎日数百枚見続けるということを選んだのです。
11月 土日ベッドから出られない 適応障害発症?
そんなこんなで毎日数百枚の画像を見る日々。単純作業を何時間も無言で続けるのは苦行に近かったですが、ミルグラムやアイドルソングなどの音楽をガンガン流しなんとか画像を見続けていました。土日もやろうと思えばできたはずなのですが、体がベッドから出られないという症状が何週にも渡って続きました。元々の体質的に寒くなると「お布団から出たくない〜」ということはあったのですが、人と会わないとなるとお風呂すら入れない、外に出るためにお風呂に入るという症状になりました。
インスタグラムを見ると楽しそうに過ごしている友達を見て、
「これはもしかしておかしいのでは?」
と思い保健室に駆け込みました。
保健室では、カウンセリングを進められましたがカウンセリングでどうこうなる問題ではなさそうだ、という直感で弊大学御用達の精神科を紹介してもらいました。
そこでは、
- 朝方に眠り、夜は眠れないという症状が3ヶ月続いている
- 土日は布団に篭りきり
- 朝に大学に行きたくても行けない
などの症状を話してとりあえず、睡眠導入薬とセロトニンとドーパミンの分泌を整えるお薬をもらいました。
12月 単純作業の日々
お薬をもらって飲んでみると、夜眠れなかったのが眠れるようになり、精神も安定していくのを感じました。他にも具体的な症状はというと
- 先生(医者も教授も)と相談できなかったができるようになってきた
- 目上の人と話すのに恐怖感を感じていたがなくなった
- なんか毎日辛いと思っていたのが和らいだ
というようなことが起きました。とりあえず、単純作業をやりながらなんとか卒業までどうにかなる!と思っていた時期でした。
1月 実験のまとめ とだるさの続く日々
実験をやりつつもなんだか本調子が出ない。いろんな人と会ったりして気分転換をはかりましたがそれでも一時しのぎの毎日。どうしてだろう?と思い精神科の先生に一応聞いてみると
「長期休みを挟んだら誰でも体の調子が悪くなるよ」
と言われました。いや、実際実家に帰っても毎日画像を数百枚ま見ていたはずなので休んではいないのですが…
「1日でも休みを挟むと仕事したくないっていう人はいるよ!論文でも言われているし」
いわゆるサザエさん症候群は実際に科学的にあるということでした。
やっぱり私の甘えかもしれないなぁとがっかりしていたら
「次回来るときに血液検査でもしますか? もしかしたらホルモンバランスで何かホルモンが出ていないのかもしれないし」
医者の話では甲状腺からホルモンが出ていないとうつのような症状が出たりするし、何か代謝内分泌に問題があるのかもしれない、とのことで血液検査をしてもらうことになりました。
2月 研究計画が作れないことと病気発覚
2月になると次の副指導の先生に説明するために
- 今までの文献調査で分かった課題
- これから行っていく自分の実験計画
を話す必要性がありました。やることは20pほどの序論の作成とこれから行う実験計画でした。
「え、序論20p??」
そう、私の去年の卒論で最後に書いた部分や嫌になった部分は序論のところでした。何をどうまとめるかストーリーが頭の中に立てられていないと書けないからです。普通序論は多くて5pくらいの長さですが20pと言われ辟易しました。
「まぁ、期限が近づいたらどうにかなるだろう、今までもそうしてきたし」
そう思っていました。しかし、実験計画が全く頭に浮かんで来ないのです。論文読んでも内容が頭に入って来ない。英語が読めないのか、それとも内容が頭に入って来ないのかその両方なのか。睡眠不足が原因かと思い規則正しい生活を送ろうにもやはり体が布団から抜け出せない。
母に相談すると、
「話の核(コア)となる部分を見つけて肉付けすればいいんじゃないの?」
と帰ってきて
確かにその通りだな!
と思っても体が動かない。頭が動かない。あ、もうすぐ就活でまとめなきゃ。
焦れば焦るほど物事はうまくいかないもので頭が真っ白になり、できることはSPIの対策を3時間くらいはできる、という簡単な問題をひたすら解くことしかできなかったのです。
先生に相談すると
「抽象的なことを考える研究に向いていない」
と言われました。そう、渡された研究テーマで1つの実験が終わり、次何をすればいいのかがわからなくなっていたのです。その時は。
今落ち着いて考えると、論文をもっと読んで理解すれば何かしら掴めるのかもしれませんがかなり精神が消耗していました。迫る期限と焦る私。もう何から手をつければいいのか分かりませんでした。
そして精神科に行って血液検査をすると
「血糖値が正常の人よりも低いです、血糖値を上げるホルモンの1つが多分出ていない。これならうつの症状が出てもおかしくない」
みたいなことを言われ大学病院の検査を受ける必要性が出てきました。
この時思ったのは
ああ、病気を何か患っていて良かった
という気持ちでした。もし正常な人間で今の生活を送らないと行けなかったらどれだけ息苦しさがずっと続くんだろうか。
そう思いました。
3月 就活と研究
3月末には副指導に見せる序論の完成と本格化する就活の両方の板挟みにあい、もう精神の限界を迎えました。具体的には
- 論文を読むだけで涙が出る
- 家に帰っても1人で泣いている
- 病院の待合室や電車の中でも情けなくて涙が出る
- 心臓が苦しみ
といった症状でした。教授には抽象的な研究が向いていないから具体的な、実験ベースの研究をしたほうがいいかもしれない、とテーマの変更も打診されました。そのテーマはおおよそ今の研究とは似ても似つかずの研究で、言うなれば学部を変えるレベルの研究内容でした。
精神が限界の状態だと人は0から新しいことを始めるのは無理なんだな、とこの時思いました。0から新しい知識を入れようとするも涙が出てまともに考えられませんでした。5日間はさっきの箇条書きした症状がでてひたすら苦しくて仕方がなかったので実家に帰り、
「もう無理かもしれない。休学を考えたい」
と親に相談しました。親からはまぁ、そんなに苦しいのなら一回休んだ方がいい、というようなことを言われ無事休学になりました。
そしてさっき休学届けを提出してきました。
これで無事休学になると思いきや寮の退寮や就活()が待っているので暇とは…?となっています。