戦略的な遺伝子

日々記録

人は完璧を求めると止まる。完璧な評価なんて存在しないから

どうもこんにちは。

完璧主義なのに基本的には怠惰でやる気が基本的になく何事も継続ができないこと私です。

 

このブログを見てわかる通り、私は継続性が全くありません。

特に更新頻度はよくて3か月に1度。

仕事の波はあるけれども基本的にYoutubeやらをみているので時間はあるはず…

なのにブログを更新したいなぁと思っていても全く更新できず、毎年サーバー費用等で3万円をサービスに支払っている状況…

もったいねえ… 

中学高校では、学年で1人だけ浪人生(しかも宅浪)。

先生や友達には、おそらくあなたが考えていることは周りに伝わっていないから勘違いされている?といったおそらくコミュニケーション能力が低いことを心配されており、自覚症状がかなりありました。(就活でも面接1次落ちが多かったです)

 

基本的に表情が暗く笑うときも口角が下がった苦笑い、質問に対してどこまで本音と建前を織り交ぜて話すべきか、そもそも別に働ければどこでもいいと思っている態度が透けていたんだろうなと

実際今でも働ければどこでもよく、金払いが良ければ、周囲の人が良ければ…といった当たり障りない多くの働いている人が考えているだろうなと思うことしか考えていません。

 

案外社会人3年目でもとりあえずクビになっておらずなんならなんか色々恵まれており全体的に見ればラッキーだけど、日々の細かい毎日でみると 怠いことが多いなぁ といった感じ。(大体データ分析のための前処理が自動化できないことが原因でイライラしてる感じ)

 

そう、タイトルの完璧を求めると止まるということに対して

就活も今の業務も人がやる作業ということは完璧は存在しません。

なぜなら評価をするのも人であり、1人の人が他人に対して自分の考えを完璧に満たすものは存在しないためだと考えています。

 

最近の私の業務は大まかにいうと大量データの分析データ作成。

これはなんか

ITっぽい!とか 

大量データから分析して何か意味のある分析をしてなんかかっこいい!

みたいな印象受けませんか?

そもそもデータ分析って何やるの?って人も多いのかな。

大量データってところが分析のミソで、有名な話は

「朝ごはんを食べる子は学力が高い」

って話があると思います。

だから朝ごはんを食べないと馬鹿になる!みたいなこといわれたことありませんか?

近年では、朝ごはんを食べられるような恵まれた家庭の子だから成績がよいのではないか?

みたいなことが言われていますよね。

これって2つの軸の話しかしていないのです。

つまりA君、B君、C君…がいたとして

A君:90点 B君:30点 C君:70点

A君 朝ごはん食べる B君朝ごはん食べない C君朝ごはん食べる…

といった2つの軸のデータしかないですよね。

しかし、現実世界ってそんな単純に理由が決まるわけではなく

現実のデータには世帯年収や家庭環境、塾の時間など無数の変数があり、単純な因果関係だけでは説明できない。D君は90点だけどご飯食べていない。しかし塾に通ってるとかこういったデータを外すべき…?とか。

こういったデータに対して これとこれは関係ある…?

 

とかそもそも時間の単位とかスケールが 日、 分、時間と単位が異なるデータが人が入れたり、色々なラベル付けや分類ができるようなデータって物事に対して多いんです。それを1つ1つラベル(解釈の仕方)をつけなおしたり、手動できれいにしたりっていうことで毎日の日々が終わります。

 

そう、データ分析とは基本的に前処理が大半で分析よりも前処理が面倒だったりするのです。前処理をいかにきれいにしようとしても、期限に間に合わないといけない。早く分析をする人へどこまで綺麗にしたデータを渡すべきか。そもそもこの分類方法は適切なのか。とか考えたらきりがないようなもので完璧な分析って最初からできず、ざっくり完成させてから細かく細かく見ていくというサイクルを回すもの。

なので最初から完璧は難しく結果をまずいかに早く出すかどうかだったりします。

 

キャリアも同じように最初から完璧にするのはコスパが悪い。

私は多分学歴的にみると就活に失敗し、配属先も失敗し配属先は若手の定着率が低い部署のところに配属。同期の大学院卒の子は別部署で役職がつき給与もあがっており、、といった感じ。

 

まぁ、私から見た部分と実際の本人の認識が異なることや資格とってたりとか人格の良さとか諸々この会社にいるのもったいなくないか?って思う人なのでいいと思います。

つまり、人の評価を完璧に受けたい場合、その組織においてオーバーなほどの高い人格や成果をださないと基本的に日本では高く評価されないんじゃないかということ。

 

人の評価は評価者によって変わるし、全員を満足させることはできない。

それなのに完璧な評価を求めてしまうと、いつまでたっても満足できない。

だったら仕事は生活できる程度にこなしつつ、自分が納得できる趣味や副業に時間を使った方が精神的には健全なのではないか。

 

なので私は今日も駄文を量産していく。

 

ちなみにAIにこの文章を読ませたところ、怠惰というより

意味がないと感じたものに対してやる気が出ないタイプなだけって言われました。

世の中本当に意味があることってなんなんだろうと思いつつとりあえずサイクルを回す。